一国二制度の終焉がもたらす自由の剥奪
7月1日、歴史的なニュースが入ってきた。香港に対する統制を強固なものにする国家安全維持法の施行だ。国家安全維持法は香港の法律の上位にあり優先される。つまり香港で許されていた自由がこの維持法に抵触して入れば有無を言わず逮捕となる。もはや香港は中国という監視官の付いた檻に入れられてしまったのも同然かと思える。
なぜ今なのか?提案から一ヶ月強のスピード施行
香港国家安全維持法は今年5月22日の全人代で提案され6月30日に可決、そして同日中国時間23時に施行された。香港返還が1997年7月1日であり23周年直前なのだ。本来この一国二制度が終わる予定はあと27年後と英中共同声明で取り決められていたにも関わらず、半分も過ぎない内に打ち切られてしまった。
そもそも返還後50年は社会主義化しないという約束で共同声明は発表されている。裏を返せば50年経てば国際ルールに触れず堂々と制度統一化できたはずだ。(もちろん内外で批判やデモは起こるはずだが)それにも関わらずこのタイミングで国際社会からの批判を無視して強行したのはなぜなのか。
デモの拡大とアメリカによる2019年香港人権・民主主義法成立
香港は近年大規模なデモを繰り返し行っている。2014年の反政府デモは雨傘運動として知られ、2017年行政長官選挙から行われるはずだった普通選挙の実施を全人代常務委員会が覆したため反発が起こり広まった。このデモではバリケードによる封鎖などで経済に大きく影響をもたらしている。
2019年4月には逃亡犯条例改定の撤回を求めるデモが起き、破壊を伴う大規模かつ長期に渡る運動となった。やはりこのデモも香港経済を停止させるものとなった。
この逃亡犯条例改正撤回デモの際にアメリカは2019年香港人権・民主主義法を提出、可決しており、香港の一国二制度が維持されるているか注視しデモ鎮圧に使用される武器の禁輸措置を採った。
国家安全維持法についての中国側の言い分は下記リンク先である中国大使館にて説明がなされているので、ぜひご覧いただきたい。全てが都合のいい話になっている。
コロナ拡大による国際社会の影響力低下と渡航封鎖
2019年末より武漢から広がりだしたコロナウィルスが奇しくもデモを止める事となり、国際社会はそれどころでは無くなっていった。武漢の徹底した封鎖が功を奏したのか中国国内の蔓延は抑えられ、気がつけばアメリカ、イギリス、ロシアといった他の大国の方が遥かに感染者を出す事態に陥っている。そのため、入国拒否を受ける立場だった中国が逆に中国国内への入国を制限する側になっていった。中国国内の外国人は武漢はもちろん感染者の出た都市から相当数が帰国した。この事態を中国政府は好機と捉えたのではないだろうか。世界中が自国の対処に忙殺され、渡航制限による人々の往来の著しい減少、予てより行われた外国メディアに対する締め出しや、先日のアメリカメディアの国外追放、外国人へのスパイ罪適用。これらも香港を国際社会から分断、孤立させるための布石としたのではないだろうか。
世界の関心はここ数ヶ月、コロナウィルスとBLMデモに向いていた。5月末に香港国家安全維持法が提案されたにも関わらずだ。少なくとも日本のニュースでアメリカの黒人差別デモ以上に採り上げられてはいなかった。これを隙と見て世界が騒ぐ前に1ヶ月でスピード可決、施行したのではないだろうか。このように考えると黒人差別デモで中国共産党の工作員が扇動していたという話にも説得力が増して見える。
これらは筆者の拙い知識に基づく憶測に過ぎないのだが、近年あまりにも様々な事態が中国を中心として巻き起こっているため関連を疑ってしまう。
一体いつから香港国家安全維持法案は練られていたのか
そもそも、香港返還交渉の当時から中国は強硬な態度でイギリスと交渉していた。当時の首相サッチャーにも武力行使をちらつかせていたという。交渉当時は妥協点として一国二制度を呑んでも、共産党内の意思として制度統一を虎視眈々と目論んでいたのだろう。
林鄭月娥香港行政長官とは一体何者なのか
それにしても不思議なのは林鄭月娥香港行政長官である。逃亡犯条例改定の際に散々顔を出して知られている香港トップだが、この国家安全維持法について国連人権理事会に説明し国際社会に理解を求めている。
しかし6月23日時点では法案を把握しておらず、草案に至っては極秘密裏に行われ、当事者とも言える香港行政長官は全くの蚊帳の外で進められていたという。そして結果がこれである。
7月1日の香港返還23周年式典にて笑顔で祝杯を掲げる林鄭月娥香港行政長官の姿があり、中国政府に感謝したという。私が香港人だったら怒り心頭どころではないだろう。
そもそも林鄭月娥氏は香港生まれ香港育ちの民主派活動家だった経歴を持ち、香港行政に携わってからの仕事に市民から大きな信頼を得ていたという。雨傘運動の対象になった2017年行政長官選挙では不出馬としていたのを翻し当選している。なお2013年10月には選挙制度の意見取りまとめ役として就いており、普通選挙に対し批判的であった。雨傘運動となるデモ直前にはデモ主催者達と交渉しているが普通選挙の否定により決裂いしている。そして逃亡犯条例改定案と撤回である。2019年8月の会合では辞任したくてもできないような内容の発言をしている。そして中国政府に対しての感謝である。選挙関連以前以後でどうにもちぐはぐさを感じるのは私だけだろうか。
習近平政権成立と共に動き出した国家安全維持法
習近平主席は2012年11月に共産党と軍のトップに就任し、2014年3月に国家主席に就いている。更には同年1月に中国共産党中央国家安全委員会が設置されている。この瞬間から林鄭月娥氏の取り込みと香港の制度統一を描いていたのではないだろうか。
これからの香港
私はそもそも陰謀論はさほど信じていないのだが、今回は事が事だけに穿った見方をしてしまいかなりの憶測を並べてしまった。しかし、香港の一国二制度が崩れるというのはそれほど大きな話であり、正直黒人差別デモなんかよりこっちの方が遥かに人権に関わる話なんだから世界でBLMと叫んでる人たちはこっちも叫べよと思ってしまう。彼らは叫ぶだけなら略奪や暴力をしない限り捕まらないのだから。だがこれからの香港は違う。国家を侮辱すれば逮捕。外国に助けを求めても逮捕。少しでも疑われれば監視、盗聴が行われる。これらは外国人であろうと実行される。これのどこに自由があるだろうか。もはや香港は過去の都市となってしまうのだろうか。
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